SNS断捨離をしてみて気づいたこと

お久しぶりです!かなり久しぶりにblogを書いてみています。

2022年10月ごろからInstagramやTwitterなどのコミュニケーションを中心とするSNSの使用時間を制限してみました。

SNSとの近すぎず、遠すぎない最適なバランスはどこなのか、今もまだ模索中です。

最近、SNSと距離を置いてみてい気づいたことを思いついたときにMEMOに残して行ってみようと思います。

目次

自分の時間ができる

SNSで見る、どこかの誰かが食べた食事。誰かが行った場所などを目にしている時間の多さに気づきました。

その時間がなくなったので、自分で手帳にやってみたいこと、欲しいもの、行ってみたい場所、また会いたい人、パートナーにできること、猫さんにできること、、など色々書いてみたりしました。

こんなふうに自分の考えに思考を巡らせる時間って楽しいものだったのにやれてなかったなぁ〜と発見。

学びに時間を使える

例えば、何か使いたいツールがあったとして、それを調べて使えるようになるまではまとまった時間が必要だったりします。

そういう「すごくやってみたいのにめんどくさくてとりかかれない大切なこと」に使える時間が増えたような気がします。

大人になってからは特に「興味があるからこれ学んでみよう!」と行動できる力が弱くなってきているなぁ〜と感じていて

逆に、分からないことや気になることを「調べてみよう!」はすぐにできるようになっています。

だけど、調べたかったことだけを調べられる時は少ない。

GoogleやSNSで調べはじめると、必要以上の情報や広告に触れて結局どこに向かってたのか分からず「とりあえずなんか知って満足」のような状態になっていることが多かった。

知識は増えているような気がするけど自分が成長できた実感が少なかったです。

自分が知りたいと思ったことに、まとまった時間を使って何かできることが増えると少しづつだけど成長を感じることができました。

大切な人との時間が増える

SNSを見ている時間って、SNSを見ていない時間にも大きく影響するなと感じます。

例えば、SNSを5分開いたとしてメッセージ項目に未読のバッジが3件ついてる。すぐに返信できないから中身を見ずに閉じたとして、そのあと(あのメッセージって何てきてたんだろう、、?)とか思ってしまったりする。

既読にしてしまって返信できずに閉じた時は、「あとで返信忘れないようにしないと」とか考えながら過ごすので、リアルな時間がどこか上の空になる

こういうリアルに生きている時間や目の前にいる大切な人との時間が「無意識に上の空」になっていることや「SNSにあげることを探す目で世界を見ている」という時間の多さに気づきました。

いつも目の前のことに集中し続けるマインドフルな状態って難しいですね。

でも、こういう自分に気づいてからはちょっとだけ普段の日常が鮮やかになったような感覚があります。

アウトプットしていないとだめだ

特に私の好きなアウトプットの形が「書く」ことなのですが、なにが好きなのかというと自分の考えが「目に見える」というところなのかなと思います。

「話す」では頭の中から出ていきますが、自分の思考が見えにくく、少しまとまりづらいような、物足りないような、、という感覚があります。

SNSを投稿するときには「書く」ことや「音声で入力した文字を編集」することで自分の考えが見えるので頭がすごく整理されます。

誰かに向けて書いているので具体的に言語化する必要もあったりして、そういう面でもSNSは自分にとって良いアウトプットの役割を担ってくれていたんだな〜ということにも気づきました。

アウトプットってすごく大切です。

人との繋がりを感じたくなる

SNSから距離をおくと、タイムラインで自動的に流れてくる大量の情報が減って頭が休まる分、自分から誰かに声をかける機会も、誰かから声をかけてもらえる機会も減ります。

シンプルに寂しいなあ〜という感覚もありますね。

プライベートでは、SNSをやめて何年も経つのですが、たまに友人に会うとSNSで繋がっていると「存在が近く感じる」ということも改めておもいます。

自分があの時SNSをやめるという選択は合っていたのかな?とか、ちょっと思うこともあります。

「自分にとってのSNSとの最適な距離」を忘れてSNSに振り回されるのは避けたいので、また始めるとしてももう少し模索しながら自分が楽しめるラインを見つけられたらいいなと思います。

  • URLをコピーしました!
目次